ニートを楽しむただの女

何もない持ってないし要らない人間のやること。心の解放と言葉の居場所を。

二日目の味噌汁。わたしがわたしへの餞の言葉

 

天気が良く気持ちのいい朝だ。

だけどもここ2.3日のわたしは少し沈み気味。

特に何があった訳でもない。

原因不明のもやもやほどもやもやすることはない。

この気持ちのいい陽気は春の訪れ。

公園へ散歩に出かけると桜の蕾が見えた。

 

「桜の蕾も大きく膨らみ、春はもうそこまで来ています。

今日私たちはこの〇〇小学校を卒業します。」

 

これはわたしの小学校卒業式の6年生の餞の言葉の最初のフレーズ。

この時期になるといつも思い出す。

と、言ってもそこまでの思い入れはない。

ただ、このフレーズが好きなだけなのかも。

 

春は出会いと別れの季節と言うがまさにそうだな、と思っている。

と、言っても春にそこまでの思い入れはない。

 

子供の頃は「卒業」を経験してきて、大人になった時に「上京」した。

誰もが通るであろう道を何事もなく通ってきたはず。

だから、春にそこまでの思い入れはない。

 

でも何故か桜を見たくなる。

 

桜と梅の違い。

梅は上を向いて咲く。桜は下を向いて咲く。

だからみんな桜を見上げるんだ。

だからみんな花見をするんだ。

 

昔そう教わったな。

上を向く人々。下を向く桜の花。

偶然だろうけど、すごく素敵な光景だと思う。そして、桜は日本で生まれた花だからまた尊く、美しさを増すのだろう。

 

何度も言う、春にそこまでの思い入れはない。

だけど、毎年桜が咲くのを楽しみにしている。

そして偶然なのか必然なのか。

上京してから引っ越しを何度かしたが、全て「桜の名所」と呼ばれている土地に住む自分がいる。

 

今年も花見こそは出来ないが、散歩でもしながら一年に一度きりのピンク色に包まれながら酒を少しだけ煽りましょうかね。

 

桜のことを話していたら早くもお酒を飲みたくなってきた。まだ朝が早いから少し我慢。

その前にお腹を満たしましょ。

 

昨日の残りの冷やご飯と味噌汁。

メニューは決まり。雑炊!

でも普通の雑炊じゃつまらない。冷蔵庫探索。

キムチがある。辛いものは今の気分にピッタリだ。キムチ雑炊に決定。

 

残り少ない味噌汁に少し水分を足す。

キムチを入れる。旨味が薄いので味噌、砂糖、顆粒出汁を追加。

冷やご飯を入れてぐつぐつ。卵を入れてネギを好きなだけ散らす。

美味しいキムチ雑炊の出来上がり。

というか、肉を加えてキムチクッパと呼んでもいいくらいだ。

 

二日目の味噌汁はわたしの上京したての貧乏生活を支えてくれた。味噌汁なのに二日目は別の調味料を加えて味変したりもした。

え?と思うかもしれないけど、これはこれで野菜の出汁がとろけて美味しいのだ。

二日目のカレーならぬ二日目の味噌汁はわたしにとってレシピ無限に値する。

料理は想像力。

仕事ではない限りレシピ通りにしてもしなくてもいい。

わたしは料理を仕事にしてレシピ通り作ってきたが、家庭料理は自由に創作している。

 

おっとと…

桜の話から味噌汁の話になってしまい、結局のところ頭の中はいつも忙しいわたしなのだ。

 

でも、コ○ナ禍で暗い話題ばかりだけど、今年も桜が咲く。

わたしのように二日目の味噌汁をどうしようかな、くらいの平凡な日々を、当たり前の日々こそを大切に生きよう、と思う。

それが大人になって「卒業」がなくなった、わたしがわたしへ、わたしのための餞の言葉だ。

 

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3.10まではニュースをデトックスする

 

わたしはほとんどテレビをつけないし見ない。
そうなったのはここ1年の話。毎日毎日繰り返させるコ○ナの話題に嫌気がさしたから。

 

「ニュースデトックス

わたしは勝手にそう呼んでいる。
気になる話題があれば能動的スマホで検索して調べればいい。
まぁ、検索している時点で本当かどうか分からないニュースで溢れかえって何を信じていいのか分からなくなるが…

 

去年のちょうど今日本中がコ○ナの話題で一色担。マスクが消えた。
世のサラリーマンは次々とリモートワークへ移行、学校も休校。
現場で汗水流して働く職業には心ない偏見までも出た。
どうしたの?日本人?って感じだった。


わたしの職場の別の部署でも感染者が出た。周りはこぞって噂した。
「喫煙所にいたらしいよ!」
「女性だって」
どこからそんな情報を掴むのか?
大抵、噂好きの人間は仕事中も集中力が足りず、詰も甘い。
わたしは「誰から聞いたの?」と聞き返した。
「あの人が言ってた」
「あの人」が言ったからあんたは信用すんのかよ、って感じだった。
「噂なんだから信じない方がいいよ。本人から直接聞いたなら別だけど」
と、わたしは言い放った。

 

不愉快だ。

こっちは仕事してんだよ。
あんたのしょーもないどっかの誰かから聞いた噂話なんてどうだっていい。
そんなこと事で騒ぎ立てるんなら目の前の仕事してほしい。感染対策をしっかりして被害が拡大しないように努めるべきだ。
そんなしょーもない噂話が好きだからいつまで経っても仕事覚えないんだよ。
…と、わたしの心の声はマックスだった。

 

テレビで大袈裟に報道するから一時期世の中からマスクが消えた。と、わたしは思っている。
必要とする人たちこそマスクがない。
わたしたちの職場も年中マスクが欠かせなかった。が、マスクの在庫がなくギリギリの状態だった。

 

テレビの映像と音声は洗脳能力が強い。
テレビのニュースは加工食品のようなもの。
もとの出来事を加えて加えて全ての真実を知らせる訳ではなく、わたしたちに恐怖心や猜疑心を持つように構成されている。
勝間和代さんYouTubeより)

 

でも一概に全ての事柄に言っているわけではない。
時にそれは悪い方向へいく時もあれば決してそうではないこともあるだろう。

 

明日3.11。


コ○ナよりももっと大切な事をテレビで伝えて欲しい。
この10年間生きてきたそれぞれの人生を忘れないために伝え続けるべきだ。 

 

今日3.10。 

 

10年前の今日、私たちは何も変わらない、変えようともせず、変わろうとしない日々を過ごしていたと思う。
明くる日、わたしたちの生きる時間が一瞬止まった。

 

忘れてはいけない。
わたしたちは決して10年前のあの出来事を忘れてはいけないのだ。

 

あの日から、
「やっとの10年」
「もう10年経った」
「気付かぬうちの10年」
生きている人それぞれの思いがあっただろうこの10年。

 

10年前の今日まで、
「雑踏の中汚く、心汚く生きる人間」
わたしはその一部だった。
あの10年前の日本で起きた大きな出来事の翌年、縁あってわたしは宮城県仙台市へ向かった。
そこでの経験はわたしを変えた。そこで出会った人達とその思いを、この10年間胸に抱えて生きてきた。
何もない何者でもないわたしでも、少しくらいは役に立てたのかな、と。

 

わたしたちは心を持つ。

 

だから忘れてはいけない
あの日のことを。
それでも生きてきたのだから。

 

一瞬でもいいから思い出して、そして忘れない。
ここに生きている限り思い出すことがある。
ここに生きている限り想いをを唱えて馳せて
わたしは一生忘れない。
あの日の光景を。
あの日の辛さを悲しみを。

あなたの心を忘れない。

 

今日明日くらいテレビをつけようか。
東北の人々へ想いを馳せて。

 

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危険な恋の反芻

 

人は意識しないうちに過去を「反芻」している。


過去の自分を後悔しているのか、
過去の栄光に縋りついているのか、
ましてや過去の恋人へ想いを馳せているのか…

 

「恋をしている時は反芻が楽しい」


昔どこかで読んだ本の中にあったっけな。

 

「反芻」かぁ。
わたしは過去を後悔したり否定はしない。
過去の栄光などない。
でも昔の恋人への想いを馳せることがある。
恋をしていた当時を懐かしんでいるのか。
あの人を好きだった自分が好きだったのか。
まだあの人を忘れられないのか。
わたしの「反芻」の正体は一体何なのだろう。

 

あの人=昔の恋人と別れて、恋焦がれを断ち切り二度と恋愛などしたくないと心にフタをして鍵までしたあの日。
鍵は開けてはいけない。
でもあの恋心はふとした瞬間に蘇ってくる。

 

「恋している時は反芻が楽しい」 

 

そんなの今のわたしには嘘だ。
この「反芻」がわたしをこんなにも長い間苦しめたんだ。
あの人の影を探してしまう自分。
あの人とこの人を比べてしまう自分。
もうわたしの心のフタを開けないで!って感じ。

 

どうして思い出してしまうの?
ずっと知りたかった。
そう、知りたかったのだ。

 

わたしは心の中でいつかまたきっと会える。あの人とわたしは必ず一緒になれる。と鍵をかけてはずなのにどこかで期待していた。
それを「確信」に変えたかったのだろう。
それを「確信」したかったからずっとずっと反芻してきたのだろう。
でも、
期待した以上のことは無かった。

 

もしも「確信」に変わったのなら、わたしは全てを捨ててあの人と人生を共にできただろうか?
いや、そんなことは出来ない。
あの人を反芻するだけの日々よりも、現実をひたすら泥臭く生きて、一緒に泣いたり笑ったりしてくれた、「今隣にいてくれる人」と共にこれからも生きることの方が大事だ。

 

「反芻」の正体がわかった今、その当時の気持ちを思いつくがまま書いてみた。
書くことによって、頭と心の中のマイナスを少しでもプラスのベクトルに出来るかな、と思った。

あの人への淡い恋心から始まり、別れを経て、再会して、また別れて、今度は「苦しめばいいの」に、という呪いのような想い。頭の中で何度あの人を殺したことか。
でもようやくその悪の感情を越えて、今は応援している。

 

終わった事をクヨクヨ悩んでマイナス思考になる「反芻思考」
集中力の低下や気が滅入ってきて、人によっては鬱につながってしまう。
この反芻思考は森など緑の自然の中で過ごす事で軽減され、新しい方向性を見つけやすくなる、という実験データがある。

 

「恋をしている時は反芻が楽しい」
好きな人と公園のベンチでおしゃべりしたり、恋人と手を繋いで桜の花道を散歩したり。
恋はここくらいまでにしておいた方がいいみたいだ。

 

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嫉妬の感情からなりたい自分へのステップ

 

いつもよりも早く目が覚めた。
理由は空腹だから。


そのようなことはストレス社会で生きていた時はほとんど無かったのに、「空腹で起きる」ということはちゃんと睡眠がとれているということでいいのであろう。
当たり前だが寝る直前に食べたりお酒を飲んだりしなければ胃はもたれない。
その「当たり前」が出来なかったんだよな…今でも飲み過ぎて出来ない日もあるけど。

 

体を目覚めさせる為、白湯を飲む。
白湯は健康、美容に良いとされネット検索すれば大量の情報で溢れている。
だからなのか何となくわたしも白湯を飲むことは続けている。
若い頃は目覚めの一杯がコーヒーだったが、さすがに今ではそれがキツイ。
身体が温まるのを待ちながら読書でもしましょうか。


文字を追いながら目に止まった「嫉妬」というフレーズ。

 

思い返してみる。わたしは人に嫉妬をした事があったか?

 

「嫉妬」は自分が欲しいものを相手がもっているときに起こる感情。


「嫉妬」をすることで起こりうる感情ふたつ。


「いいなぁ、自分もそれを手に入れたい!頑張ろう」となるか、
「自分も頑張ってやってるのに、なんであの人ばっかり…」と批判的な感情になり、自分の現実を受け入れることが出来ないか。

 

わたし自身よく「嫉妬」されたと思う。
いいよね、可愛くて。いいよね、若くて。いいよね、仕事が出来て。若いんだから出世した方がいいよ。
職場ではいつも言われた。
女の嫉妬だろうか、陰口を言われたりいじめられたこともあった。
だからわたし自身は、社会人として生きてきた中で誰かに「嫉妬」したことはほとんどない。
人に嫉妬する暇なんか無いくらい、自分自身を常に向上させていたかったから。

 

じゃぁ、いつ誰にどんなことで「嫉妬」した?

 

コツコツと小さな努力を続けれる人。
勉強したり、本を読んだり、自分の経験を人に話したり文章を書く事でアウトプットし続けている人。


これがわたしが苦手としていて、わたしが最も欲しいと思うものをもっている、出来る人。
会ったこともない、自分のことを知らない携帯の画面の中にいる人へわたしは「嫉妬」している。


でもこの「嫉妬」の感情に気づいた時、モヤモヤしていたものがとれて、さらに自分のコンプレックスを洗い出し、今やらなけらばならないことが見えてくる。

 

「嫉妬」=「批判」ではない。
自分の嫉妬を認めて、行動するきっかけにする。批判ばかりして、叩いてしまうとそこで人は満足してしまう。

 

羨ましいと、と思う感情を素直に認める。
だって、その「羨ましい」と思う人こそが自分の目標に限りなく近い存在だから。
その人を批判してる自分は、成功へは遠のいていく。負の連鎖にしかならない。

 

ちなみにわたしに嫉妬をして、いじめをした人は同性の上司。
おそらく自分よりも若い人間が出世をして、さらに上の上司から可愛がられることへの嫉妬、自分の立場が怪しくなると思ったのだろう。こういう人間関係のいざこざはよくある。愚かだな。そしてそれに負けた自分も情けない。この経験は2度と同じ事をするまいと大いに役立った。
批判する自分と批判する他人、どちらも負の存在でしかない。

 

学生の頃、親に教科書丸暗記すればテストで失敗しない、と教え込まれた。
だからなのか1文字すら読み残しのないように読んでしまう癖がついた。


最近では「速読」の本も出ているから、この癖を直してもっとたくさんの本を読みたいと思い、習得したかった。


でも、わたしにはそれは向いていないようだ。
「嫉妬」のフレーズが出てきた章を何度も読み返している。
頭の中が思い付いた言葉たちでぐちゃぐちゃになっている。まとまりのない言葉。なかなかまとまってくれない。

 

ここからだ、ここを我慢して、メモなりしてこの本で得た知識をちゃんと自分の中に落とし込むんだ。

 

わたしの苦手な「コツコツ」
今日もコツコツとこの作業を続ける。

 

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米。蝕むのも米、労るのも米。

 

寝苦しい夜だった。
布団から片足を出していた。暑い、汗をかいていた。
胃がキリキリ、ムカムカする。
今にも胃液が込み上げてきそう。


原因は…昨晩。

昨日は前の職場のパート仲間との飲み会だ。数時間前の事なのに遠い記憶のようだ。
何杯飲んだのだろう…
 
待ち合わせの前に立ち飲み屋でひとり引っかけた。ビールと酎ハイ2杯。
パート仲間と合流して再びビールで乾杯。
その後は19時のラストオーダーまで、メガジョッキのハイボール3杯は飲んだであろう。時間が許すのであれば無限ループにハマる、まさに戦場。


胃液が込み上げてくる理由は飲み過ぎだけではない。酒を煽りすぎて満腹中枢がバカになっていた。食べ過ぎだ。
わたしは長年、酒を飲みすぎた事で引き起こる「過食脳」に悩まされてきた。
尋常じゃないくらいに食べてしまう時もある。

 

そもそも食べ過ぎる原因は、お酒を飲み過ぎる事で脳の視床下部にある満腹中枢が麻痺してしまうから。
お酒を飲む。そのアルコールを肝臓で分解せねばならない。それに必要なのが「ブドウ糖」。つまりお腹が空いている空いていない関わらず、体はブドウ糖が必要になる為に、食べたい欲が出る。


ブドウ糖…それは炭水化物だから〆にラーメンが食べたくなるのだ。


わたしは〆ラーメンも食べるし〆に米も食べたい。
昨日なんかおにぎり2つ、シュークリーム、甘い菓子パンを食べていた。
さらにおにぎりが2つ冷蔵庫に入っていた。
食べなかったが食べようとして買ったのは確か。


胃液が込み上げてきた。完全に二日酔い。
胃の中のものはもう腸へ行ってしまっただろう。胃の中は空っぽ。水さえも刺激物に感じる。
あんなに食べたのだ。身体は悲鳴を上げている。しばらく横になって、労ってあげたかったが、後悔の方が強い。


この後悔は何度してきた事だろう。


胃痛と、ゲップと共に込み上げる酸っぱい胃液の匂い。
腸で吸収されなかったものたちがグルグル蠢いている。

 

そうして空腹感が来るのを待つ。

 

もちろん胃に優しいものを求める。

おじやを作るつもりだった。


アルコール代謝に必要な栄養素はビタミンB1。米はビタミンB1を多く含む。


奇しくも、食べ過ぎたのも米。それを労るのも米だった。本物の日本のスーパーフードだ。

 

おじやを作ろう。

残り物の野菜で選ばれたのは人参と白菜。
細かく微塵切り。
多めの湯でコトコト茹でる。ご飯を投入。顆粒だしと醤油で味付け。生姜とネギ、鰹節をかけて頂く。

 

お酒による「過食脳」おそらく酒を飲む人間誰にでも経験することだろう。
酒によって脳が興奮するから致し方ない。自分だけではないのだ、と言い聞かせる。

自己嫌悪に陥ることはない。
たっぷりと水分をとり優しいおかゆやおじやで労ってあげよう。

 

さて、回復したから今日も戦場へと向かう準備をしますか。

 

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体調が悪くても炒飯は作れる【チャーハンのコツはたったのふたつ】

 

 

いつもよりも目が覚めたのが遅い。
思いっきりあくびをすると何故か左の顎が痛かった。
心なしか胃の下がちくちくする。
そうだった、排卵日らしい。
頭が痛い。
体が重だるい。
浮腫んでる気がする。
昨日から焦る気持ちだったり、
落ち込んだり、感情の起伏がある。


結婚して4年が経つ。

そろそろ子供作らないの?と言ってくる人もこの世の中だからなのか減った。

だからわたしの両親含め周りの人たちは誰ひとりとして「それ」は言わない。
だからわたしにとって排卵日は「特別なイベント」ではない。


ずっと仕事が好きで、仕事に夢中で生きてきた。決して大きくない身体で、現場の中男と同じ仕事量をこなしてきた。
現場主義、現場に入れば男も女も関係ないと思って生きてきた。だから自分の身体のことなど気にしてこなかった。気にしている場合ではなかった。


仕事から離れ、毎日眠たければ寝て、目が覚めて再び目を閉じなければ起き上がる。
空腹を感じたら自分で自分のために料理して食べる。適度な運動をする。歩く、走る。

そして夜は今日もストレスが無かったな、と晩酌をする。


ノンストレス生活を送り始めて3ヶ月目。
身体の声に耳を傾けられるようになった。
今自分の身体はこうだ、という感覚が分かるようになった。

今まではきっとその感覚を分かっているふりをしていただけ。
自分の身体を大切にケア出来ていなかった。
だから女性特有である「生理」の事情はわたしはほとんど気にしてこなかった。
ましてや、低用量ピルを飲んで生理不順による不安をかき消し、毎月同じタイミングで生理が来ることへの安心感を得ていた。
生理が遅れてるくらいのことで一喜一憂したくなった。
若い頃からそのような生活だった。
もちろんピルに助けてもらった部分は多い。生理痛の緩和や肌荒れも減った気がしていた。
でも自分の時間が自分の為にあり、毎分毎秒自由に使えるのであればもうピルに頼るのは辞めようと決意した。そして今月からピルを無くした。
副作用なのか、やっぱり身体は重怠い。
頭痛も増えている。
でも、辞めたことによってそれに気付けたのも確か。
気持ちがそわそわするな、心ここに在らずだな、イライラするな。
毎日を平凡に何も気にせず過ごしていたら見落としてしまいそうな感情の変化さえも、救いあげる。
身体が重だるい時「無理して時間給のために働くこと」より、「ゆっくり身体を休めて目を閉じてただ時を過ごすだけ」の「今」の方がよっぽと自分にとってはいい時間の使い方なのだろう。

 

そんな事をぼーっと考えていたら、そろそろお腹が空いてきた。

気分は米。炒飯が食べたい。
冷凍庫に鮭が眠っていたな。おつとめ品で買ったセロリももう食べてあげてしまわないと。
鮭とセロリのチャーハンに決めた。
その他具材は椎茸玉ねぎ、微塵に。卵早く溶いておく。調味料は全て用意しておく。あとはおたまをもって始めよう。


煙が出るくらい熱した中華鍋に、多めの油、すかさず溶いた卵を入れる。

油を吸い込んだ卵はふわっとする。そこへ素早くご飯を投入して煽る。

卵の下にご飯、おたまの裏でトントン、油をまとった卵をご飯と合体させるイメージ。自然と油がふたつを混ぜ合わせてくれて、しっとりパラパラになる。

鶏ガラの素、塩胡椒で味付け。

鍋肌に醤油を周り入れ焦がす。煽って完成。


チャーハンを作る時のコツはふたつ。
スピード感と材料を全て揃えてからのスタートのみ。

 

こんな日は中華鍋もうまく振れない。うまく煽れないと卵と米と油に空気が含まらず、べっちゃりしてしまう。
味の感覚も鈍る。わたし今塩味が欲しいのか?でも塩を入れることでしょっぱくなることに抵抗があった。結果チャーハンは薄かったし、焦げた。


でも落胆することはない。料理は作業だけど、仕事ではない。

そう、わたしはわたしの為だけに時間を使えるのだ。失敗しようが構わない。


再びチャーハンが食べたくなったら今度は飛び切り美味しいチャーハン作ってやる。
少し焦げたチャーハンはところどころ硬い。 寝ている間強く噛み締めをしている左の奥歯が少し痛い。だから顎も痛かったんだ。 

 

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安藤美冬さんの【新しい世界へ】を読んで、時を過ごしてとことん自分と向き合ってあげようと思った

 

こんにちは、とも実です。

ページを開いていただきありがとうございます。

 

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今朝早く旦那さんがキャンプへ出かけていった。

 

森は寒いけど焚き火であったまって自然のパワーで癒されてきておくれ。

 

曇り空も朝のうち。正午をめがけて太陽が出てきた。洗濯をしてよかった。

 

今日もなんてことない1日が始まります。

それを感じ取れる事が今の心の余裕、幸せです。

 

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さて、本日は【読書の時間】です。

 

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【新しい世界へ】安藤美冬

 

▼本の内容▼

「こわいことほど、人生に、ブレイクスルーを起こす」元祖ノマドワーカー、新しいパイオニアとして知られている安藤美冬さん。SNS断ちをすることで、自分の「おそれ」ととことん向き合い、それをひとつずつ手放していった著者が綴る、誰もが新しい自分、新しい世界へ行くための方法。そっと背中を押してくれます。 

 

 

 

 

社会人になっても「〜せねばならない」という固定概念に縛られてきたわたし。


日本人は常に働いている。働いていなくちゃいけない、という固定概念がある。

わたしもそのひとりで何度か仕事を辞めたけど、その度に自己嫌悪になり、早く働かなきゃ!と先を急いでいました。

 

そんなこともあり、著者がメキシコ人から学んだことがこころに刺さりました。

 

スペイン語で「過ごす」という言い回しがある。
何もしないでただ時を過ごすだけ。
何もしないで幸せを感じて浸っているだけ。
何もしないで色んなものから解放されるとき。

 

わたしは、ただ「過ごす」ことも立派な過ごし方だなと、思いました。

そう思うと、仕事を辞めても尚先が進んでいない自己嫌悪がスーッとなくなる感覚。

きっと自分は今人生でこの過ごし方をしている期間なんだと思いました。

 

 

 

人は結果を求めがち。

 

仕事を辞めたから次にやりたいこと見つけなきゃ!…見つからない
仕事を辞めて収入がないからどんどん貯金が無くなってく…早く働かないと!
行動を起こしてからの「結果」に拘りすぎてうまくいかない時には落胆する。


「結果」は大事です。


でも、今のわたしのようにただ「時を過ごす」だけの日々ならば、「結果」を急いで求めるよりもまず、「仕事を辞めた自分」にフォーカスしてあげる事が大切だと思った。


物理的(次の仕事が決まっている、貯金も充分にある)に準備してから仕事を辞めるのは誰にでもできる。

ただ物理的にいい状態でなくても、心理的に心が常に整っていればいつでも崖から飛び降りることはできる。
わたしは後者です。だから心の状態を「良」に整えて崖から飛び降りた自分を褒めてあげたい。

 

 

 

自己嫌悪にならないで。必ず手放して良かったと思えるモノがある。

 

ウジウジと仕事や人間関係で悩み、日記には毎日ネガティブな愚痴を書く。飲み会では会社の不満や人間関係の愚痴の言い合い。そんな日々でした。


完全にわたし自信がネガティブ思考にはまって、そういう人を引き寄せていた。


それじゃぁどんどん自分がネガティブな思考や人間に蝕まれていく。

そうなりかけていたのだとようやく気付きました。

 

仕事を辞めて良かったこと。


嫌な愚痴の言い合いの人間関係を手放せた。

 

人間関係を手放す事はこわいことです。
人は誰にでも承認欲求があり、人に嫌われたくないと思う人がほとんど。


その人間関係、自分にとって必要のない人間関係を手放さたことが、今のわたしの心の余裕をつくるひとつになっています。

 

嫌な人間関係から解放されてただ過ごす。

 

そうやって時を過ごして感じることは、
プラス思考、幸せな感情、ありがとうという気持ち。

 

これが自分の芯の中にある本当の感情なのかもしれません。

 

 

終わりに

 

こわいと思う事に挑戦する為に、自分がどうあるべきか、どんなセルフイメージを持ちどんなマインドであれば良いか。

ご自身の経験をもとにとても強く優しい言葉で書かれている印象でした。

当時の著者の仕事の真髄とも言えるSNS断ちをしたからこその説得力があります。

 

わたし自身の「セルフイメージ」はかなり低いと思います。ひとつのことに対して自信を持てるまで人一倍、それ以上やらないとダメだ、とずっと思ってきていました。

でもそうやって卑下しながら自分を守っていただけだったんだなって。

「そんなことないよ!とも実は頑張ってるよ!」と言って欲しかっただけなんたなって思いました。

 

とことん自分との向き合い方、常に良い心理状態である為の自分との付き合い方を教わった気がします。

 

 

 

読んでくださりありがとうございました。