ニートを楽しむただの女

何もない持ってないし要らない人間のやること。心の解放と言葉の居場所を。

ミテクレではなくわたしが本当に欲するものを。

 

何でもやり始めるまでがめんどくさい。

 

起き上がったしまえば二度寝することはないのに。

お湯を沸かしてしまえばコーヒーを淹れるのはどうってことない。

顔を洗えば、化粧水を塗りそのまま日焼け止めを塗る。いつだって出かける準備はOKになる。

「キッカケ」さえ作ってしまえばあとはおのれが動くのみ。その「キッカケ」を怠れば、もう「面倒くさい」で片付いてしまい、もしかすると二度と行動に移されなくなる事柄もあるかもしれない。

 

面倒なことをめんどくさがらず、無意識にただひたすらと毎日行えることが「習慣」

こんなわたしでも外へ出る=ランニングだけは「習慣」として続いている。と、いうかよっぽど体調が悪くない限りは走る。もしくは歩くくらいのペースで走る。(もやはランニングというより速歩きだが)

 

わたしは「習慣」を欲している時期があった。

何となく「習慣」や「ルーティン」がある日常によって、「わたしはやってるのよ」感が欲しかったのだと思う。要は「ミテクレ」だ。

SNSに載せるための「行動」をあたかもおのれの習慣やルーティンに無理やり当てはめようとした。

もちろん、こんなことは続くはずもない。

「ミテクレ」ほどおのれを害するものはない。

そもそもミテクレは習慣の概念とは当てはまらない。

ミテクレは習慣のように無意識にただひたすら好きに出来る行動ではないからね。

ミテクレを作るために面倒な行動をとるおのれに嫌気がさし、やっぱりわたしには二日目の味噌汁に冷やご飯をぶち込み卵を溶きほぐし、ネギと胡麻油を入れた「ねこまんま雑炊」が性に合っているんだ。

 

わたしのミテクレは「服装」にも現れていた時期があった。

雑誌から抜きとったようなファッション。メイク品。通販大好き。とにかく流行りモノが大好きだった。でも高級品とは言わず、おのれの給料の範囲で楽しんでいたつもりだった。

酒とタバコが大好きで、服やアクセサリー好き。1人で飲んでれば飲み屋のおねいさんにほぼ間違えられた。童顔なのに笑

 

そんなわたしが昨年末、大大大!断捨離をした。

身につけるものはスマートウォッチ、ネックレスひとつ、イアリングひとつ、靴ふたつ、ダウン、ジャケット、黒スキニー、ニットのセーターふたつ。あとはランニングする際のウェアふたセット。これ以外全て手放した。カバンもランニング用のリュックひとつのみ。(あとは下着3日分)

 

わたしにとっては究極の断捨離だった。

何故ここまでの断捨離をしたか?はいつかお話ししたい。決してミニマリストになりたかったのではない。

「ミテクレ」に左右されず、本当に自分にとって大事なものは何なのか?を知りたかった、ということだ。

 

でもその答えは未だ出ていない。

 

そして季節の変わり目の今、わたしは着る服がなく焦っている。

ここで、とりあえず着るものの調達をしよう!とはいかなかった。

それをしてしまったら、おそらくまた「ミテクレ」で選んだガラクタでわたしのクローゼットはいっぱいになってしまうと思ったから。

 

さて、わたしはこの春、何を求め手にするのか。

 

わたしが心から欲する、今だけじゃないミテクレ。流行りがなくずっと大切にしたいと思えるアイテム。

 

「いつも綺麗な格好してるね、それ可愛いね、どこで買ったの?」

じゃなくて、

「それ素敵!似合ってるよ!らしい!」

がいい。

わたしらしさ。今わたしが1番求めるものはそれかな。

 

 

2週間前、ひとつのアイテムを買った。

フェイクレザーの黒いライダース。冬でもライダースを着るくらいわたしにとっては普通で当たり前にあったもの。いなくなってどこか寂しかった。

安物だけどこれから世話になるよ。よろしくね。

 

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