ニートを楽しむただの女

何もない持ってないし要らない人間のやること。心の解放と言葉の居場所を。

ただのニートは桜島へ走りに行った。

 

わたしは鹿児島が好きだ。

 

理由は単純に旅行で訪れた時、ご飯とお酒が美味しかったから。

そして鹿児島空港から鹿児島市内中心部までのアクセスが良い。栄えている鹿児島中央駅からバスや電車(路面電車)を駆使すれば移動時間をほとんど使わずに楽しむことが出来る。かなり魅力的だ。

 

何より鹿児島市天文館より、桜島までのアクセスの簡単さには驚いた。

簡単だし、近い。(観光地はどうしてもバスや電車を乗り継いでの移動の末、ようやく辿り着くイメージだから)

天文館より徒歩20分ほどで桜島フェリーターミナルへ着き、フェリーで15分程揺られればあっという間に島に着く。

(フェリーの中に人気のうどん屋さんがあることは有名だ。もちろんわたしも頂いた)

f:id:tomom-t:20220214224104j:image

 

わたしは桜島も好きだ。

鹿児島を好きな理由はもうひとつある。それは桜島が大好きになったから。

それを語言化(わたしの頭の中の整理)の為、桜島とわたしの思い出を振り返りたいと思う。

 

 

 

 

2022年1月中旬。わたしが桜島を訪れた当時、少々噴煙が上がっていた気がする。

噴煙など実際に見たことがないから、少々の噴煙にも興奮してしまい、ちょっぴり怖い。

桜島はいつも怒っているのかな)

そう思った。

自然を怒らせてしまうのはいつだって人間だと、わたしは思っている。  

 

今回わたしが桜島を訪れた理由、それは

桜島一周35kmランニング」をする為だ。

 

時は戻り初訪問鹿児島、2021年10月中旬。

桜島へ到着し、目指す湯乃平展望所まで歩いて行った。

(湯乃平展望所へ向かうバスはあるが、走ることが大好きなわたしは自分の足を使って展望所まで行くことを選ぶ。なぜ走らなかったのか。パートナーが足を少し負傷していたのだ)

 

当時桜島はまだ残暑が残る。強い太陽の日差し、蒸し暑くて無風。関東都心と比べるとまだまだ半袖だし、額から流れる汗のかき方も夏だ。

歩きながら、まず目に入ってきたのが小さな柑橘の実がなる木。

それは桜島名産「小みかん」だ。世界一小さなみかんとも呼ばれる果実が、桜島の噴煙にも負けずに力強く育ち始めていた。その育ち始めの青々とした小さな実が、これから訪れる桜島の冬を誘っているのだろう。

その時わたしは、12月より出荷し始めるこの小さなみかんをまた食べたい、と思った。

そのためにまた桜島を訪れようと強く思った。

そして次は、この島の風景を走りながら見てみたいと漠然と思っていた。

f:id:tomom-t:20220214224152j:image

 

その3ヶ月後のきたる年初め。

桜島一周35kmランニング」と「小みかんを食べる」というあの日感じた事、頭の片隅に消えずにいた欲を満たす為に再び桜島へやってきた。

(足を負傷していたパートナーは回復し、今日はわたしたちが2人で走る記念すべき初めての日となった)

f:id:tomom-t:20220214224212j:image

 

まず初めに言っておこう。

 

桜島一周35kmを走った感想は…

ずっとアップダウンキツイじゃん。

 

事前に調べた内容としては、「桜島を観光するコースとして左回りコースがおすすめなので、左回りにスタートしたら、11kmあたりからアップダウンが4kmほど続いた」とのこと。

(わたしのように桜島を走って一周したいという方がいたこと、そしてその方がその記録をブログに綴ってくれていたことに感謝)

 

わたしの感覚としては、フェリーターミナルからスタートして、ずっと海沿いの道を走るのだと思っていた。9km過ぎから民家が少なくなり、だんだん内陸地に入ってきて周りが木々に囲まれた。そしていきなりアップが始まり、ダウンした。

何だかんだで4kmが過ぎたあたり、平坦な道に戻り、林の隙間から海が見えた。海がまた姿を現してくれたと思ったら、またアップしてダウンした。

結局ずっとこの繰り返しだった。

 

でもフェリーターミナルをスタートして17kmほど走ったら「黒神埋没鳥居」も見れたし、21km過ぎだあたりでは国道224号と大きな道路表示(桜島口付近)があり、ここで道を外すと垂水市へ行ってしまうので注意。ということで改めて気も引き締まった。

おっ、ここでようやく海が姿を現してくれた。

(あぁ…海。やっぱり綺麗だ)疲れ切っている身体でも、海を見ると自然とエネルギーがもらえた気がした。

f:id:tomom-t:20220214223930j:image

f:id:tomom-t:20220214224253j:image

 

でも最後の海沿い15km、より壮絶なアップダウンがわたし達に鞭を与えてくるのだった。

さすがに足はもう悲鳴をあげていてほとんど歩くペースのようなもの。そして寒さで冷えた身体と足はもう言うことを聞いてくれない。

 

その時は

ただ前を向いていた。

ただただ足を前に踏み出していた。

 

ただ桜島を一周したいという思いだけだった。

 

初めは、島一周35kmという距離に魅力を感じただけだった。一周ぐるっと周れる島は何処にでもあるだろうし、比較的行きやすいメジャーな島は大体周囲100kmは優に越えてくる。35kmという距離はわたしにとってはとても気軽に挑戦できるし、超える事の出来るハードルの高さだった。

 

でも桜島のアップダウンを、超えては超え超えられないくらい足が棒になった今思うのは…

 

ただ走り切りたい。

 

再びフェリーターミナルが見えた暁には、温泉と冷たいビールがわたしを待っている。

(身体は冷え切っているがビールは別腹ならぬ、別身体。どんな状況でもランニング後は飲みたい)

 

ただただそれだけだ。

 

ようやくフェリーターミナルが見えてゴール。

もはや達成感以外の感情はない。これほどまでにやりきったという感情を死ぬまでにあと何回感じることが出来るだろうか。

 

わたしよりまだランニング経験の浅いパートナーも足を引きずりながらも完走した。(彼はランニング歴まだ半年)

初めて30km以上の距離を走り切った彼の頑張りをわたしは讃えたい。

 

この達成感を共有できるパートナーがいる事、それはとても幸せな事だ。


f:id:tomom-t:20220214224716j:image

f:id:tomom-t:20220214224719j:image



 

 

走ることはシンプルだ。ただそれだけだもの。

 

走って何処へ行く訳でもなく、何処へ行ける訳でもない。人間の身体、己の身体なのだから限界はあるだろう。でもただ走りたいと思うから走り切れる。

間違いなく、この桜島一周35kmの経験はわたしにとって走ることの経験値をアップさせてくれた。また走り出したいと思わずにはいられない、ワクワク感をくれた。

 

そして自然の雄大さと厳しさを身体で感じた。

大地と島の住民をずっと優しく見守り続けてくれていた桜島。そして噴火。

噴火により島の人々の生活も変わっただろう。昔登ることの出来た桜島はそれを許さなくなった今、見上げては黒く暗い噴煙。それでもあなたはわたしたちをまだ見守ってくれているの?

 

必ずまた会いに来ます。

わたし達はこの島があなたがとても好きになりました。

 

 

わたしは鹿児島県が好きだ。

 

鹿児島県へ行けば、またあなたに会えるのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ただのニートが自身のランニング観を語る。

 

毎朝大体7時に目が覚めて起き上がる。とりあえず起き上がる。もしこの時に再び布団の中へ潜り込んだら二度寝をする。布団から脚を出して寒い寒い言いながらのそりと部屋から出れば、今日の身体は軽くて好調らしい。

朝のこの一瞬の判断(身体が好調=メンタル良好)を見極めることが最近のわたしの朝仕事だ。

今日は身体もメンタルも良き。でも天気予報はなんと「雪」だ!

とりあえず予定は未定だけど、湯たんぽを温めて湯を沸かす。

2.3分でどちらも湧くであろう。その間は顔を洗って保湿、コンタクトをつけて、日焼け止めを塗っておく。そうすればいつでも外出可能になる。この同時進行を怠るとダラダラしてしまいがちなので、とりあえずでもいいからやっておく。

面倒臭いけどやっておけば後は楽だから。

あ、一瞬忘れていた。今日の天気予報は「雪」マークが付いていた。しかも午後から雨が降るらしい。現在時刻7時30分。

とりあえずお茶を飲みながら読書をして、脳みそと体を少しずつ温めよう。

朝の読書は、いい眠気覚ましになる。

夜の読書は、いい眠りを促してくれる。

よって、わたしはいつでもどこでも読書が出来るように本を持ち歩き、苦手だった電子書籍も取り入れた。(わたしはいつまでも紙の本が好きだと思い込んでいた)

今読んでいるのは【いけない/道尾秀介】ラスト1ページのどんでん返しミステリー、このミステリーを見抜けるか。短編読み切り。1章を読み終わり時計を見ると、8時50分。いけない!もうそろそろ雲行き怪しくなる?急げ!!

予定は未定。でも毎日欠かさないこと。それはランニングだ。

わたしが朝一瞬の体とメンタルを見極める作業を始めたのには理由がある。

「ランニングを日常にもっと取り入れたい」

ランニングの習慣化というよりは、日常と共にランニングがある生活をしたいと思ったから。

 

走るぞ、と思ったら支度は早い。

着替えてランニングシューズを履く。

玄関のドアを開けて、空を見上げて深呼吸。

(おはよう曇り)

そうわたしは毎日空に挨拶するのだ。

そしてクソ寒い中、河川敷コースまで白い息吐きながら走り出してゆく。

走って、その先に何があるわけでもない。

走って、どこかへ行くわけでもない。

何も天気予報「雪」マークがついてる中、わざわざ走らなくてもいいじゃないか。

走って何になる?

よく聞かれるし、言われる。

「何で走りたいと思うの?辛いのによく走れるね。」

その答えをすらすらと言えるのならば苦労はしない。わたしが走ることに対して、どれだけの熱量をもって向き合っているか、それが言葉に出来るのならば、もうとっくに語言化しているだろう。

今のところ言えることはひとつ。

ただ走ることが好き。

走る時はひとりだ。どんなに仲間と切磋琢磨して走っても、走る時は己と向き合うしかない。その時間が私にとって最も自分が自分であることのできる、尊い瞬間。孤独を感じていても、それすら快感に思えてくる。

一歩、また一歩。その感覚。距離も時間もどんどん短くなればなるほど速く走れる。

何もタイムを縮めたいのではない。最終目標は記録更新などではなく、わたしは風にのって走りたい。風と一体となれる瞬間。その瞬間、感覚をもっともっと感じていたい。歳を重ねても。そして日本、いや世界中の景色をランニングと共に観て感じたい。

ただそれだけだ。

だからこんなクソ寒い荒川の河川敷も私にとっては、冷たい空気が肺に入ることすら心地が良い。クソ寒くたって汗はかく。冬のかく汗は冷たいけど、貴重だとすら感じる。

 

そんなこんなでわたしは20km走った。

f:id:tomom-t:20220213125557j:plain

 

f:id:tomom-t:20220213125609j:plain

 

大体こんな感じのペースで走っている。

ここ最近5分20秒ペースが心地良く感じてきている。脚力も付いてきたかもしれない。

変化や成長が感じられると嬉しいし、それは少なからず自分にとっての成功体験へと繋がる。

それを日々積み重ねてゆこう。

 

とりあえずやろう。それでいい。それを毎日続けることが今のわたしには大切なのかもしれない。

 

 

 

ニートになって増えた時間について考えてみた

 

昨晩遅くにメルカリに出品していたモノが売れた。朝一で梱包してゴミ捨てと共に発送をしよう。
天気が良い。梅雨が明けた?いや、梅雨なんて存在するのか?と思わせるような暑さ。夏だ。
せっかくなので散歩をすることにした。

 

わたしがニートになって増えた時間をどのように感じ、どう使っているのか?


そのたどり着いた考え方は3つ。
今朝の行動から感じた事から話そうと思う。

 

 

説明出来る行動が意味のある行動

やらなければいけない目的があれば嫌顔にも動かなくてはならないのは当たり前。
でもその「やらなければいけない目的」を最大限に「意味のあることにする」する。
「やりたくないこと」はしない。

 

わたしにとって「意味のあること」とは「きちんと説明出来る行動」のこと。


がむしゃらに働きまくっている時は、意外と説明出来ないような無駄な行動を無意識にとっている。
仕事中も、もしかしたら帰宅してからもそのような無駄な時間があったな、と今になってつくづく感じる。

 

「ただ時を過ごす」ことは好きだ。
「無」になると同じで、人間には必ずエネルギーチャージタイムが必要だ。
ニートになり「意味のないこと」「説明出来ない行動」は減っていると感じる。
と、いうことは自分の行動の意味をちゃんと理解しているし、時間を大切にしている感覚を持つようになったのかもしれない。


それほど心に余裕があるということだ。

 

外出しない引きこもる日にも理由がある

わたしは週に2日は外出をしないと決めている。
何故なら「ノーマネーデー」にしたいから。
わたしの場合、家から一歩外へ出てしまうと必ず何かしか買ってしまう。無駄なモノを買ってしまう浪費をどうしたら直せるか?
それは今のところ「家から出ないのが1番いい」という結論に達している。


ニートで予定もないので、「ノーマネーデー」は大概天気の悪い日になることが多い。

 

働いていると休日に雨が降るとガックリする人もいるだろう。わたしもそうだった。
週末キャンプに行きたいな!と予定を立てても雨予報だとテンションはちょっぴり下がる。

 

でも雨の日にもちゃんと楽しめたり、意味のある日にしてあげる。


わたしのように「雨だから家に引きこもる、お金使わないからラッキー」
それでいい。
引きこもった事によって普段なかなか時間を割いてあげられない読書が出来た。
引きこもった事によってお昼からお酒飲んでいい気分になった。
引きこもった事で普段食べない少しお高めのフードデリバリーをした。
なんでもいいのだ。

 

このように雨の日には自分の悪い浪費癖を直そうと一役勝ってもらっている。

 

ニートになって増えた時間はひたすら「読書」

ニートとなりいきなり時間が増えた時、正直何をしていいか分からないくらいだった。
毎日が仕事中心の日々だったから、いきなり増えた時間を持て余していたのだ。


「とりあえず○○しなきゃ」という「とりあえず脳」これは私自身からすると意味のない無駄な行動だ。


「とりあえず」と言ってそこから発生した事柄に対しての成功は無いのかなとわたしの場合そう思っている。


自分が先急いでよくも考えずに結果だけを求めがちになっているからだ。

 

なので大切な時間やちょっとした隙間時間、リラックスしたいエネルギーチャージの時間もわたしはほとんどを「読書」の時間に充てている。

 

このように「読書」は、学ぶ事も出来るし、本さえあれば時間と場所を問わない、心のリラックス効果もあるだろう。
人によっては読むよりも聞く方が効率よく学べるし、時には癒し効果もあると思う人もいるだろう。それはそれで良い。人それぞれだ。

 

※働きながら多忙な毎日の中で何か趣味を見つけたいという人は「とりあえず」目についたものからどんどん初めて、手探りの中見つけるのはいいと思う。

人それぞれの事情や状況がある。これはあくまでもわたしの現状で感じたことです。

 

ニートとなりわたしの時間に対しての考え方は変わった

 

ひとつひとつの行動に説明出来る様に、意味のある行動にしてあげること。

「雨の日=嫌だな」ではなく外出しなくても意味のある、楽しい方法を考えること。

とりあえずの行動はNG。ならば読書に時間を費やす。

 

振り返ると、いかに今まで自分が忙しなく無駄な行動をしていたのかを反省した。


時間は有限。いつまで続くか分からないニート生活、せっかくだから楽しもう。そして意味のある有意義な時間にしよう。

 

f:id:tomom-t:20210610081152j:image

 

 

ニートになるからモノを捨てまくったけどミニマリストになれなかった話。わたしが思うミニマリストになるとは?


2020年年末のこと。


わたしは下着3日分とダウンジャケット、コート、セーター2着、ズボン2着、リュック1つ、靴2足を残し全て処分した。
その他、本や仕事関連のもの、書類系、思い出の品あらゆるモノを処分。
わたしの私物は大きなボストンバックに入るくらいの量となった。

 

何故そのような大きな「断捨離」をしたのか?
それは「離婚」を決意して家を出ようと思ったから。
結局話し合いの末、離婚はせず大きな争いとお互いのメンタルの後遺症もなく元通りの生活となっている。
(離婚の話はまた別の機会に話します)

 

 

今、わたしの身の回りのほとんどのモノは無い状態。季節の変化もあり必要最低限の洋服は買い足したがそれは下着がほとんど。


しかし断捨離後、何もないわたしに次のような事が襲ってきた▼

 

  • とにかく何もないから無気力
  • お洒落したくても無気力
  • どうせまた捨てるよね?と買い足す事に無気力

 

わたしにどうしようもないほどの無気力さが襲ってきたのだ。

 

モノを捨てることによって、自分にとって必要なモノ不要なモノの区別がつき、心が豊かになると思っていた。わたしは「ミニマリスト」という概念を浅はかに考えすぎていた。

【モノが少ない=ミニマリスト=心が豊かになる】というありがちな勘違いをしていたのだ。

上記3つ▲を踏まえて詳しく話そう。

 

 

 

まず初めにモノが無さすぎて無気力に陥った

 

f:id:tomom-t:20210608122017j:image

 

理由は、選別をうまく出来なかったから。


必要なモノを白として不要なモノを黒どちらでもないものをグレーとするならば、圧倒的にしか残さなかった。


生活をする上でグレーのモノを残さないのはリスクがある。

 

何故なら、必要不要の選別の猶予を作ることによって人間の脳はより深く考えて選別をする事が出来るからだ。

この猶予をたくさん作り、繰り返すことでの選別が出来ていくのではないか?

 

 

次に、お洒落したい欲があるのに無気力になっている

 

f:id:tomom-t:20210608121353j:image


これは完全に洗脳脳である。

 

「お洒落=たくさん服を持っている自分」にとりつかれていたから。


そして本当に自分の好きなスタイル(一張羅)を知らないから。


ものに溢れてしまった悪い例である。


本当は黒い服でシンプルでマニッシュ系が好きなのに「淡い色のスカートやワンピースを着て男性受けを狙っていた」ということなのだ。
そのような状態に陥った時わたしは、同じことを繰り返すまい!とモノを買うことを辞めた。躊躇なく辞めた。


着る服がない=外出したくない、こんな姿を誰にも見られたくない、と思った。

ならば家で引きこもればいい。どうせニートだし。実際にそうした。


元々引きこもりタイプではない人間はいつか引きこもりに飽きる。外出して外の空気を思いっきり吸いたくなる。そうなった時、意外と寝巻きの状態に近くても外に出れたりする。
何故なら「見てくれの自分を見て!」という以前の欲求よりも「外の空気が吸いたい!」という本来の人間的欲求に近い感情の方が勝るからだ。


だからといって「お洒落を手放せ」と言うのではなく「お洒落な自分を見てね、好きになってね」という欲は捨てたら楽になるよ、という事。


その「わたしを見て」という欲はお金も時間も蝕みます。

 

 

最後に、どうせまた捨てるよね?という無気力について

 

f:id:tomom-t:20210608121412j:image


これはよく考えて判断すれば良い方向へと繋がってゆく。「どうせ捨てるならなら買い足さなくてもあるモノでいいじゃん?=あるモノで代用しよう」で、良い。シンプル。
わたし自身そうやって今に至っている。


例えば鞄の話をしよう。

 

わたしはリュック1つのみ残して全ての鞄を処分、手放した。
その残したリュックはランニング用のリュックだ。サモロンというスポーツブランドの容量20リットル、色はブラック。
普段使いならばこのサイズは余裕だ。

 

わたしはランニングをする為、その時に使うリュックはどうしても必需品だった。
そのリュックは素人からするとほぼ普通の何気ないバックパックに見えることから、わたしはこちらのみを、普段使いとランニング用のダブル仕様にすることにした。
使い心地はもちろん良い。軽くてたくさん入るし、丈夫かつスポーツ用なので雨に濡れてもすぐに乾きやすい。メリット多数。

 

補足するならば、「わたしを見て」という欲求がなくなる事によりお洒落カバン(デザイン重視で機能性を満たしていないもの)は不要になった。

 

このように元々持っていたものが、考えようによっては何か他のタイミングで使えたり、代用出来たりする。

f:id:tomom-t:20210608121434j:image

 

何よりも、考えてパズルみたいに一致した瞬間がとてつもなく快感だし、楽しい。
ミニマリスト」の真骨頂はここにあるのかな、と感じた。

 

 

 

わたしは今でもモノが少ない


でも自身を「ミニマリスト」とは思わない。


何故なら「ミニマリスト」の概念は人それぞれ違い、「ミニマリスト」は生きる上で今自分にとって必要なモノを厳選し、最低限のモノで心豊かに生活をしている。


その生活にはいつでも「余白」という心と体の余裕がある。
「余白」とはお金や食事、スケジュール管理、仕事や人間関係全てにおいてストレスフリーと余裕を与えてくれるもの。


わたしはまだその「余白」を作っている途中なのだ。


いつでも心と体をストレスフリーになるためにニートになったのだ。ストレスフリーになる為にモノをほとんど手放したのだ。

 

なりたい自分になるために「ミニマリスト」はいつも「自身」を追求しているんだ。


小さなモノひとつとっても、これが自分を豊かにしてくれるモノなんだと大切にする。


その思いが「ミニマリスト」の真骨頂であり、わたしもまだまだ学び途中だ。

 

ミニマリスト」って無限かもしれん。

 

f:id:tomom-t:20210608121454j:image

 

毒親とは?毒親育ちではないが親に対して思うこと

 

子供の頃朝目が覚める前に必ず聴こえる騒音があった。


「ドン!ドン!ドン!」


それは母親が階段を登る音。

スリッパを履いて登ってくるからスリッパが床にペタペタくっつく音と母親の重い体重が重量に負けて朝から物凄い地響きのような騒音となって頭に響く。

わたしはその騒音が大嫌いだった。

決まって階段を登って真っ直ぐにわたしの部屋のドアを勢いよく開けて「起きなさい!」と怒鳴る。
大きな足音を立てるな!と母親は言うくせにその朝一番のその音こそ大きな騒音でしょ?といつもムカついていた。
だからわたしは実家にした20年間寝坊を一度もしたことはない。その騒音は目覚まし時計よりもわたしの体内時計よりも毎日が正確に起こしてくれる我が家にとって何よりも強力な「目覚まし騒音」だった。


初めにそもそも毒親とは?

f:id:tomom-t:20210607154542j:image

毒になる親の略で、毒と比喩されるような悪影響(人生の妨害)を子供に及ぼす親、子供が厄介と感じる親を指す俗欲概念である。(Wikipedia引用)

 

 私自身母親へのコンプレックスは抱いていたが、二十歳を過ぎると同時に実家を離れたい一心で、思春期の猛烈な親への反抗心を我慢し、反抗もせず、解決もせず、反抗期というものすら初めから存在しないまま大人になり上京してしまった。

 

うちの母親とわたしの事を簡単に言うと…

 

世間体を気にする母親はとにかく私たち2人姉妹に勉強をさせた。

姉は出来が悪く泣き虫で、嫌がる勉強を無理やりさせられることへ反抗的な態度を取る。

妹のわたしは、自分は我慢して母親の言う通りにしていれば怒られないし成績も良ければ褒められる。勉強も運動も頑張り、常に学校の成績は上位だった。

 

姉と私は対照的だったが、母親からすると姉は反抗するがやはり長女は可愛い、妹は大人しく黙っていても勝手に育ってくれているので可愛い、という感覚だろう。

 

つまりわたしは20歳まで親の思う生き方のレールの上を歩いてきた。

高校も母親が求めた高校へ。卒業後の進路も専門学校へ行け、この職業へ就け、と。
わたしは家を出ることが最優先だった為に全て母親の言う通りにした。二十歳になるまでは子供は子供だから。どんな事をしたって親と子の関係だから反抗は出来ないと思い込み、己の気持ちを押さえつけて生きてきた。


10代のわたしはその方が心が楽だったのだ。

 

今思うのその「楽」が仇になってきたのだと思う。

 

 

「戦い方と負け方を知らない大人」になってしまった。

f:id:tomom-t:20210607160716j:image

 

わたしは自分の意思でやりたい事を選択して、その達成に向けて努力をしてこなかった為に、自分の「成功体験」というものが無かったのだ。

 

するとどんな事が起きたかというと…

 

  • コツコツと小さな積み重ねを続けられない
  • 辞める選択が出来ない
  • 仮に辞める選択が出来てもその後無気力になる
  • 成功体験がない為にすぐに結果を求めたり、楽をするやり方を探してしまう

 

二十歳で実家を出る。社会人となり、期待も不安もなく何事もない平凡な毎日だった。
でもしばらく上記の事がわたしを苦しめ続けた。

 

人間関係が辛い…仕事辞めたい…言えない…

辞めてどうするの?転職?

今更新しい事を一から勉強するなんて無理!

勉強するったって何がしたいのか分からない!

とりあえずすぐお給料が貰える日雇の仕事探そ…

 

絵に描いたような優等生だったわたしは社会人になった時、無虚となり仕事を辞めたら廃人のように空っぽになった気分だった。

 

漠然と思い出す事がある。

 

いつだって勉強していた。体をよく動かして運動も良く出来た。母親から勧められて始めた書道だって段をとるまで頑張ったし、部活動も高校3年生まで続けられた。
でもその中で今でも役に立っている事あるか?

それは母親から言われるがままやってきたと思っているけど、結局は自分がやろうと決めて頑張った事だよね?

 結局母親のせいにして何も成し遂げず、得るものを落としてきてしまったのは自分だよね?

 

漠然と思い出す記憶からわたしはわたしの答えを導き出した。

 

「親の人生じゃない。わたしの人生だ」

f:id:tomom-t:20210607154442j:image

 

二十歳を超えたら大人。二十歳は大人一年生。

これからは自分で決めて、小さな目標を立てて、一つずつクリアしたらそれが「成功体験」
それをどんどん増やしていこう。
結果を求め過ぎると疲れちゃう。
大事なのは小さな習慣をコツコツ続けること。

 

大人という世界に「卒業」はない。
だから大人一年生から始まり、「学び」は永遠だ。


わたし自身は母親のことを「毒親」だとは思っていない。母親に対してのコンプレックスがあったからこそ、大人になりつまづいた時深く考えさせられた。そして「自分」という人間を知りたくなった。
それこそが人生の「学び」なのだと教えてもらった。

 

確かに「毒親」という存在は子供を苦しめるだろう。でもその「毒親」も人間なんだ。
子供と同じように「毒親」自身もずっと苦しんで生きてきて、自分という人間を知ろうとしてこなかったから、不器用で上手く生きられない。そんな自分への苛立ちを子に向けてしまうのでないか?


親という存在はいつまでも永遠に親だ。
子供はいつだって親の背中を見ている。

子はいつだって親のから「学び」を得るんだ。

 

わたしも今年で大人13年生となる

f:id:tomom-t:20210607154438j:image

 

流石に親へのコンプレックスは克服し、ようやく自分自身の事が少しずつ分かってきた。

 

母親から学ぶ事。
「親の人生じゃない。わたしの人生だ」

 

 

 

 

 

 

 

上京したて一人暮らしの記憶

 

午前0時。Amazon prime vimeoで「LA LA LAND」を観ていた。

ミュージック調の美しい歌声と映像、さすがハリウッドの夢見る大人、綺麗で最後は歯痒さもある内容だった。

映画の感想はさておき、映画を見終わった後のわたし特有であろう「感情移入による思考停止」が珍しく起こらなかった。

その直後から強烈な胃痛と吐き気に見舞われた。その後約5時間、一睡もできずに吐き気と頭痛に襲われながら被汗をかきまくって朝を迎えたことは言うまでもない。

 

「寝れない夜は無理して寝なくてもいい」

 

そんな事を誰かが言ってくれるけど、わたしはどうしても寝たい派なのだ。

 

寝れない夜は何をしてますか?

 

わたしはただひたすら一人暮らしだっと時を思い出している。過去を振り返る訳ではない。記憶から消してしまわぬよう、自身を常に戒める為、忘れないようにする為。

 

上京したて一人暮らしの記憶1

人嫌いの寂しがりやだからひとり立ち飲みへ行き、東京だけど下町ぽい雑踏を求める。出会いなんか求めてない。ただ誰も知らない人の中、自分だけが自分の存在を認めていればよかった。ビール片手に。

立ち飲みはわたしみたいな独り者のオアシスみたいな場所だった。

 

上京したて一人暮らしの記憶2

深夜2時、人嫌いの寂しがり屋はコンビニへ走る。金ないのに買いたいもの食べたいものなんか無いのにコンビニへ走る。コンビニは明るい。店員は変わらず、変わらず同じ接客をしてくれる。わたしなんか認識してくれてなくていい。「いつもと変わらない日常」が欲しかった。

 

いつも寝れない夜は寂しくて怖かった。

人肌を、人の温もりを求めていたのではない。

ただわたしがわたしだけの存在を認めて赦してあげたかったのだと思う。

それが出来そうもない、夜の暗闇はわたしをいつでもそう思わせてしまう。

小さくて未熟なわたしのココロはいつでも「東京」に押し潰されそうだった。

それでもわたしは「東京」を愛していた。

 

わたしはいつだってわたしという未熟で孤独な存在を「東京」と重ねていたのかもしれない。

そうすることによって「東京」に守られていると感じたかったのかもしれない。

 

f:id:tomom-t:20210507170934j:image

 

 

 

 

 

 

 

 

自分のコンプレックスを投影した恋愛の末

 

ランニングをした後、公園のベンチで散りゆく桜を眺めていた。

「桜吹雪」という言葉がぴったりな風景。

今年も桜は見納めだ。

 

そんな風景と共にあるのが、子供たちが遊ぶ姿。小さい子供から中学生くらいの男女。

走り回ったり、ボール遊びをしたり、女の子はベンチで携帯を見ながらキャッキャ楽しそうだ。年頃だから好きなアイドルでも見ているのだろうか。

 

わたしも子供の頃はよく公園で遊んだな、、

小学校までは男の子と混じって「本気」のかけっこをしていた。今思うとかなり危険なかけっこだったな。

中学生になると部活にのめり込んで、友達と遊びに出かける事が少なくなった。

そのまま学生時代を過ごすのだけど、周りの子達は電車に乗ってお買い物をしたり、お泊まり会をしたりしていたよう。

わたしの家は親が厳しかった為に、ほとんどそういった記憶はない。

電車に乗ってお買い物へ行くときは、誰とどこへ行くか、何時までに帰るか、など細かく報告しなければならなかったから、当時は友達関係の事で言い合いになる事があった。

 

よく思い返すと、「親へのコンプレックス」があったのだなと思う。

 

そのコンプレックスが、のちの恋愛へと繋がり、終わってしまった恋をずっと引きずっていたのだ、とようやく気付いた。

 

どうしてあの人を好きになったの?

 

よく言うのが「自分にないものを持っているから」「尊敬出来るから」

 

まさにわたし自身もこの思いが先立って、あの人を好きになった。

 

確かに、わたしが苦手な事をさらっとやってくれるから一緒に生活してるとすごく助かる、というような生活の中でお互いの苦手な部分をお互いが補うというのはすごくいいと思う。

 

でも気付いた。

好きになる人へ自分自身の内面的なコンプレックスを知らぬ間に投影してしまっている、と。

 

つまり、自分がこうなりたいという理想を好きな人が持っていたら惹かれるのだと思う。

 

当たり前のことを言っているようだが、わたしはこの「投影」の底無し沼にハマりかけていた。

 

わたしは親へのコンプレックス、厳しすぎる親が嫌だったし、自分のしたい事や気持ちを言うことが出来ない子だった。

好きになったあの人は、当時高校生、自分の意思で親元を離れて寮生活、高校中退してしまったが親戚の営む飲食店で働き自分で生計を立てていた。

同い年なのに自分の意思でどんどん進むんだな、、親も応援していたようだし。

わたしは羨ましかったのだ。

自分にはそれが出来ないから。親のレールの上しか歩いていなかったから。

そこから外れる事ができなかったから。

そして、そんな彼と一緒にいる事で自分までもが少し大人びてる感じがしていた。

 

その彼は一方的に別れ話をしてわたしの前からあっさり去っていってしまったから、なおさらわたしの未練は残ってしまったのだが。

 

 

自分自身の子供の頃のコンプレックスから、若い頃の恋愛、大人になった今でも何かがモヤモヤしている心の中。

わたしの場合、全て繋がっていた。

 

自分自身の「気質」というかどんな人間なんだろうと深く深く追求していくにつれて、少しずつ繋がってきている。

 

わたしのかつて愛したあの人。大人になる前に別れ、心の底で気持ちにフタをしてしまったから分からなかった。

同じ「好き」でも、大人になる前と、大人になった後では違う。

 

あの頃の「好き」が再び疼いたら、またわたしはかつて愛した人へ今度は今の自分の中のコンプレックスを「投影」するだろう。

 

だけど、それは「愛」ではないのだ。

 

 

あなたとわたしは生きてきた道が違う。

これからも生きてゆく道が交わる事はない。

 

 

f:id:tomom-t:20210405191704j:image

 

豆腐と豚挽肉とニンニクの芽のスタミナ炒めで乾杯。