ニートを楽しむただの女

何もない持ってないし要らない人間のやること。心の解放と言葉の居場所を。

危険な恋の反芻

 

人は意識しないうちに過去を「反芻」している。


過去の自分を後悔しているのか、
過去の栄光に縋りついているのか、
ましてや過去の恋人へ想いを馳せているのか…

 

「恋をしている時は反芻が楽しい」


昔どこかで読んだ本の中にあったっけな。

 

「反芻」かぁ。
わたしは過去を後悔したり否定はしない。
過去の栄光などない。
でも昔の恋人への想いを馳せることがある。
恋をしていた当時を懐かしんでいるのか。
あの人を好きだった自分が好きだったのか。
まだあの人を忘れられないのか。
わたしの「反芻」の正体は一体何なのだろう。

 

あの人=昔の恋人と別れて、恋焦がれを断ち切り二度と恋愛などしたくないと心にフタをして鍵までしたあの日。
鍵は開けてはいけない。
でもあの恋心はふとした瞬間に蘇ってくる。

 

「恋している時は反芻が楽しい」 

 

そんなの今のわたしには嘘だ。
この「反芻」がわたしをこんなにも長い間苦しめたんだ。
あの人の影を探してしまう自分。
あの人とこの人を比べてしまう自分。
もうわたしの心のフタを開けないで!って感じ。

 

どうして思い出してしまうの?
ずっと知りたかった。
そう、知りたかったのだ。

 

わたしは心の中でいつかまたきっと会える。あの人とわたしは必ず一緒になれる。と鍵をかけてはずなのにどこかで期待していた。
それを「確信」に変えたかったのだろう。
それを「確信」したかったからずっとずっと反芻してきたのだろう。
でも、
期待した以上のことは無かった。

 

もしも「確信」に変わったのなら、わたしは全てを捨ててあの人と人生を共にできただろうか?
いや、そんなことは出来ない。
あの人を反芻するだけの日々よりも、現実をひたすら泥臭く生きて、一緒に泣いたり笑ったりしてくれた、「今隣にいてくれる人」と共にこれからも生きることの方が大事だ。

 

「反芻」の正体がわかった今、その当時の気持ちを思いつくがまま書いてみた。
書くことによって、頭と心の中のマイナスを少しでもプラスのベクトルに出来るかな、と思った。

あの人への淡い恋心から始まり、別れを経て、再会して、また別れて、今度は「苦しめばいいの」に、という呪いのような想い。頭の中で何度あの人を殺したことか。
でもようやくその悪の感情を越えて、今は応援している。

 

終わった事をクヨクヨ悩んでマイナス思考になる「反芻思考」
集中力の低下や気が滅入ってきて、人によっては鬱につながってしまう。
この反芻思考は森など緑の自然の中で過ごす事で軽減され、新しい方向性を見つけやすくなる、という実験データがある。

 

「恋をしている時は反芻が楽しい」
好きな人と公園のベンチでおしゃべりしたり、恋人と手を繋いで桜の花道を散歩したり。
恋はここくらいまでにしておいた方がいいみたいだ。

 

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