ニートを楽しむただの女

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30代になり20代の恋愛を振り返る【妄信編】

 

20代の恋愛に対して、30代になって振り返る。

 

もしかしたらわたしはあなたへ期待していたのかではないか?
あなたがわたしの全てを理解して受け入れてくれる、と。


でもそれはただの「妄信」なのだ。

 

※妄信とは、むやみやたらに信ずること。


あなたの全てをわたし自身が分かっていなかった。分かってあげられなかった。分かったつもりでいた。
あなたを分かっていないわたしをあなたが受け入れてくれることなどない。
心のどこかでは怖れもあったのかもしれない。
もし受け入れてもらえなかったらどうしよう、と。

ただの「妄信」 恋は「盲目」


ちゃんとあなたを見ていなかった。
期待ばかりして、信頼してあげていなかった。

若い恋愛は「嫌」と思った瞬間に一気に冷めたら終わってしまう。

若い恋愛は「与える」よりも「与えてほしい」が強い。

若い恋愛が終わってしまうと、心に蓋をしてしまい、そのまま心が停止してしまう。

何も乗り越えず乗り越えようとしなかったら、また次に同じ苦しか辛い恋愛がくると、乗り越えられない。

乗り越え方を知らないままなのだ。

 

そうやって、わたしは乗り越えられずに20代の恋愛を経験した。

かつて愛した男を心のどこかで引きずったまま、大人になってしまった。

 

大人になり、出会った。

よく「客観的に自分を見ろ」と言ってくれた人。20歳そこそこで知り合った人。

わたしは「客観的に見る」ということが当時よく理解できなかった。

「人から自分がどう思われているかよく考えて行動、発言しろ」その人はずっとわたしに言い続けてくれた。

少しずつ自分がその言葉を理解して、変わっていく感覚があった。

 

若い恋愛を乗り越えられずにいたわたしは、いつのまにかその人の言葉は心に突き刺さり、当たり前にわたしの隣にいてくれる人となり、大切だと思えるようになった。

かつての若い恋愛とは違う「何か」があって、わたしはそれが「好き」という感情だと気付いた。

「与えてほしい」よりも「与える」、「尽くしたい」とすごく思えた。

 

その人がわたしの生涯のパートナーとなった。

 

何度も何度も別れたいと思ったが、そのたびに腹を割って話して、互いを正して、認めて、受け入れて、赦す。

 

若い恋愛ではできなかった「赦す」ことを彼とわたしは普通に行ってきた。

 

「妄信」「恋は盲目」そのようなものはもうわたしたちの間には存在しない。

 

かつて愛した男への淡い恋心が再び疼き出しても、それがわたしにとってはただの妄信であり、叶わないものだと期待しては残念と思うだろう。

 

30歳を過ぎてやっと振り返ることができた20代の若い恋愛。

ずっと心に蓋をしていたものを開けてみて、いっそのこと全てを捨ててしまおうかと思うくらい心が疼いたけど、またもわたしを引き止めてくれた隣にいてくれる人。

わたしはこの先どんなことがあっても、1番近くにいてくれる人を離さない。

 

30代の恋愛は恋ではなく愛である。

 

参考著者【20代にしておきたい17のこと〈恋愛編〉本田健

 

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